忙しかったので疲れている、倒れるように寝たけれど起きてしまってからまた寝付けない。

 

ここのところ何か書きたい気持ちがぽつぽつと生まれていたので、良い機会なのでまた始めてみる。

 

「降伏の記録」を読んだ。

かなわないも家族最後の日も読んでいたけれど、「最新作で最終作」というこれはやはりとんでもなかった。苦しかった。

一子さん、心を削って書き続けてよくここまで辿り着いたなあと。

ECDの「他人の始まり因果の終わり」も同時に買って読んだけれど、感じた違和感というか求めていたものと違ったという印象のわけが、降伏の記録を読んで明らかになった。

わたしは今の石田家について、かなわないによって書かれたあとのことや、癌が分かってどうなったかどう暮らしているのかが知りたかったのだけれど、肩透かしを食らった。

それは一子さんが降伏の記録のエッセイ部分で書いている「向き合ってくれない」というそのままのことが現れているように思った。

そういう人のことを好きになってしまうことに心当たりがありすぎて、自分のことのように読んだ。

自立していて、誰も求めていない、私以外の人が近づかない人を選んで近づいていく。

 

降伏の記録は壮絶なラブレターで、

ECDにもっと生きていてほしいという思いをさらに強め、一子さんにも本当に幸せになってほしいなと、 自分の幸せを願いながら、連作を読んでおそらく初めて思った。

 

旅の途中だ。まだ始まったばかりの。

 

 

 

 

 

 

今日はもやりとした気持ちを抱えて、そのことをふんわり書きつけたい気持ちもあったけれど、

最近の別のことを書くことでなんとか消化する。ということも書きつけてみる